中崎インタヴューズ #2「『事情』刊行に際して」
「僕さえいればいいんです。僕さえいれば1枚目から最後のページまで書けるんです。それでいいでしょ?」――『事情』を刊行した中崎淳の出版に際する想いをまとめたインタヴューを掲載致します。
――既に昨年のことになってしまいましたが、本が出版されたことについて率直な感想を。
ありがたいという気持ちしかない。まさか本当に一冊の本として完成するとは思ってなかった、ありがたい。解説も含めすべて読んだけど、まさかという感じでね、ほんまにありがたい。とにかく小説を書いてきて良かった、それだけです。もう感無量です。
――収録されている作品で特に思い入れがあるものは。
全部ですが、編集者との関わりでいえば「へだたり」です。思い入れをもって書いたのは「事情」ですが、思い入れがある作品と聞かれたら「へだたり」。この作品を読んで評価してくれて僕を発掘してくれたので。いや、インタビューにならんね、つまらん。なんか他にないかね。
――では出版して読者に広く読まれることになりますが、読者にメッセージは何か。
僕から読者に? 何かあると思いますか? 逆に。
――中崎先生のことですから「俺の小説が分からんやつは死ね」とかですかね。
今言えるとしたら、すごくつたないが、読む人には「黙って読め」と、それしかない。読んでくれた人に「ありがとう」という気持ちはないでしょ、だって知らないんだから、その人のこと。感謝する方がおかしい。ただ僕は精いっぱい書いた、そしてそれを精いっぱいやって世に出した人がおるんです。それに対して僕は感謝したい。中上健次ではないけれども、生きてて良かった。いやぁ、センチメンタリズムですな。
――「傲慢」をはじめとして「事情」などの諸作品は若者の苦悩を描いていると思うんですが。
あのさ、本音で話そうよ。インタビューなんでしょ? 録音も回してるんでしょ? インタビューなら本音で話さないと。
――本音ですか?
うん。
――では伺いますが、今回の作品で描いた「葛藤」というのは実はまだ一部分でしかなくて、中崎先生の描きたい「若者」とはもっと深いところにあるのではないでしょうか。まだ出版はされていない「逸脱」においても性的な方に寄っていっているが、そういった根本的な「葛藤」を描けるのではないかと思っているわけです。つまり「家庭の事情」とか「いじめ」とかそういったものを超えた人間本位の部分です。要するに先生の書く若者、ひいては「小説観」をお伺いしたいのですが。
僕がですね、現代の「今時の若者」を書いて万が一奇跡が起きて売れる。最悪だ。いやもちろん、売れたいとは思っていますよ、当たり前です。けれど、だってね、それを30年後に誰が読むんですか。
――読まれないんでしょうか。
僕はね、早く死ぬ。読者は長生きする。君たちもね。
――そうは思いませんが。
それは君の感想であって、僕はそう思っている。そのときにね、かつて自分があんなに入れ込んだ作家がこんなに落ちぶれていると思われたくない。僕は20年たったときに読まれる作品とは何かを考えている。分からんがね、僕の小説とは何だろうか。
――大事な視点ですね。
へだたり、という意味においては、僕が書いた「執着」(※『事情』には未収録)という作品がありますが、あれは珠玉です。僕は「へだたり」とかも色々書きましたが、「執着」という作品に関してはあれ以上書けない。あれは傑作です。
――それはなぜでしょうか。
あの小説は、僕が初めて奇をてらった。幻惑的と言ってもいい。意味深長であり、むしろ意味がない。しかし、ある局面において非常に豊かな意味を発揮する。僕はそう思いますが、あとは知りません。
――その「ある局面」とは。
そんなの知らんよ、俺が知りたいわ。
――先生ならそうお答えすると思いました。
――今回収録の5作についてもっと伺いたいです。何からいきましょうか。
「へだたり」からいきますか。もしそこにね、全身全幅の愛があるとすれば、あの小説はマグニチュード10です。しかし、人と人が肌を重ねるときにマグニチュードは起きないんですよ、残念だ。いや、僕はインタビューが下手だね、あとは適当に書いといてください。僕は何を言えばいいんだ。
――確かにこちらが「ありがとうございます」と申し上げるべきですからね。
は? なんで? それはちゃうやろ? なに?
――いやいや、この小説は99.9%は先生のものですから。我々は残りの0.1%を手助けしたに過ぎませんから。
編集者ってなんなんだろうか、僕はなんなんだろうか。僕はね、小説家になりたいと思ってましたよ、大学に入ったときからいつか、とずっと思ってました。この本のね、背表紙、帯、その他すべてを誰が考えてくれたんでしょうか。もう本当にね、「ありがとう」しかないですよ。100年後にね、初版のこのページがね、いかなる意味をもつか。著者、発行者、編集者と並んでいて。
――先生の本に名前を連ねるのは他の方からしても名誉なことですから。
そんなこと思ってへんくせに。まあ、とにかくありがとうね。
――良質な小説であることは間違いないと思っていますので。
ある早稲田大学でいま大学院に進学した知人にね、「傲慢」は読んだことないから読みたい、と言われたんですよ。けれど僕は「『傲慢』はまだ出版が先になりますから『事情』しか読めないかもしれない」と伝えたんです。けれどこれ5作も入ってるのね。800円で僕の小説が5作も読める、素晴らしいことです。
――中崎先生はどうしてそこまで小説にこだわるのでしょうか。
だからさ、あのさ、知ってますか? 小説というのはペンと紙さえあればできるんですよ? だから僕は書いてるんでしょ。だってさこんなに美しい表現形式がありますか? 僕はね、芸術に優劣をつけるつもりはないけれど、あなたも分かるようにね、音楽も戯曲もそうだけど、あれを人にぶつけるには「人」がいる、「同志」がいるんです。僕は一人でできることを好んだ。小説は僕がいればいいんです。僕さえいればいいんです。僕さえいれば1枚目から最後のページまで書けるんです。それでいいでしょ? なにがだめなんですか? もしそうじゃなかったらとっくにやめてますよ。そういう意味では僕が一番絶望的ですよ。ディストピアですよ。
――先生はどうして群れないんでしょうか? 先生はご友人も多くおれられますが、さほど仲の良い友人はいなかったということでしょうか。
お前、よくわかっとるやないかい。「友人はたくさんおったけど、心からの友人はおらんかった」というのが一般的な読み筋だったんだけれど、今なんて言った?
――さほど仲良くない友人がたくさんいた、と。
すごいね、やっぱり君はすごいよ。
――普通の飲み屋で盛り上がる友達ならいると。
いや、飲み屋に行くまではぱーっと盛り上がったけど、飲み屋に行ったら全く面白くなかったよ。僕が地元に帰って飲むのはせいぜい1人から2人ですよ。いやー、盛り上がってきましたね、あと一杯で帰ろう。カンパリソーダください。
――今日も調子がいいですね。
僕はね、高校1年のときからずっと小説家になりたいと思ってたんですよ。周りのみんなは言うてないから知らんと思うけど、実際、実力としては全然でしたね。高校のとき、リレー小説っていうのか連作小説を友人とやったんですけれどね、友達が勝手にやめたんですよ。ひどい男ですよ、ほんまに。友達の小説に対するメンタリティが僕と全く違うと言うことは分かるんですがね、それを理由に僕の文章をないがしろにしていいということにはならないでしょう。僕はそのときの文章まだ家にあるよ、自分の分だけね。考えてみれば、高校の同級生といまでも会ってる奴はほとんどおらん。だって俺は嫌いやから、あいつら。なんでかって? 目標もないのに偉そうなことばっかり言うから。「死ね!」って思ったね。俺の恩師の言葉に「有象無象はほっとけ」ってのがあるんですよ、あんなやつらは有象無象もええとこですわ。まあ些か飲み過ぎましたわ。とにかく僕はどうしたらいいんだ。
――書くことを積み重ねていけばいいのではないでしょうか。
なんの話してんのお前?あ?ちゃんと読んでから言えよ。よー言うわ。もうさ、限界やろ、なんぼ書くねん俺は。いや、マジで。書くよ、いや書いてるやん俺さ。
――もちろんそれは存じ上げていますが、今の世の中、コンテンツ化されていく社会ではやはり書いて出し続けてくしかないという意見もあると思うのですが。
書くしかないのは自明やん、そんなん言われんでも分かってるもん。そうじゃなくて、だから、書くよ、いや、書くしかないよ。それは分かってるよ、だから何?
――自明のことであればそれ以上は言いませんが。
俺がもしかして書かないという風に見えてんの?
――少しだけですが、書きたくないというようにも。
書きたくないよ、書かれへんねんから。書かずにおれたら楽やろ。今ね、僕が教師という職があるから忙しくて書けないと言ってるんじゃなくて、大学生のときからずっとそう。小説を書くのはしんどいよ、だってしんどいんだもん。意味分からんし、書くたびに頭おかしくなるし、なんか変な気分になるしね。やっぱり自分は頭が変なんじゃないかって思うし、とにかくその、誰かに自分は大丈夫だよって言って欲しくなる。必死で書くんですよ、書くしかないから。いや本当は書くしかないからってことはなくて、書かなくなるのは簡単なんですよ? 大学は早稲田だし、仕事する先はなんぼでもある。小説を書かずに生きていく方法は山ほどあるよ。しかしそれはさ、それでは僕は生きていけないんですよ、書くしかない。なんでこうなったか分からん。こんな道は嫌だよ、俺かって。つらいもん。でも、書かないといけないんだから。理由とかはないよ? だって僕は書く他ないんです。優れた編集者がいるとかいないとかは関係ないよ。でも、自分はね、小説が書けるんです。というかね、僕が生きるにはもう書く以外ないの。だからそうするんでしょ? だってね、書かない日が来たら幸せとは思わんもん。
――ドMですね
だって僕は書けるし。あのほんまにあのね、はっきり言おうか? 1回しか言わんからよく聞けよ? 僕の小説はね、いま23年、今年で24年目になるけどね、すごくプライド持って書いてるから、だからあの、何? 何が言いたいかよく分からんこと言ってるやつは死ねって思ったし、「死ね」って実際に言ってるからね? 言い訳は来世で言え。僕らはどこには生きてんの? 今世や、現世やろ。他になんかあんの? 君たちは分かってない。小説を書くというのはね、しかも誰も評価しない小説を書くわけですよ、無理やで。誰一人それを「書け」と言わないんですよ。しかし、たった1人だけ「書け」という人がおると。その状況でさ、小説を書くとき、人は正常ではいられない。「藁にもすがる思い」という言葉があるけれども、本当にそうだよ。その人がいてくれればと思うし。表現者にとって自分の作品を見てくれる人は神に等しい。
――本当にそうなんでしょうか。
本当に自分がやりたいことだけをやってますか? お前は誰なん? 君たちがお金欲しいとかそういうのなしに訴えたか、何かを、世界に。
――そこまで言い切れる人はなかなかいないでしょう。中崎先生はどうしてそこまで信念を持って小説が書けるのでしょうか。
僕の場合はね、たった1人の人間が、大学3年生の秋に現れた、晩秋に。だから僕は書けた。
高校生のときなんかはリア充っぽく振る舞ってたけれど、誰も読まなかったからね、僕の小説なんか。僕は中学のときから書きたかったし、ずっと書いてきた、小説を。一番最初に全部読んでくれたのはその1人やった。で、全部言うてくれた。だから、そういう読者がおる限り僕は書きたいと思った。100人が僕の文章を読んだ人がおって、90人が理解しない、9人が適当なことを言う。しかし、1人だけ。僕の想いを察してくれれば、僕の書く意味はあるなあと思った。だから今も書けるんでしょうが。あのさ、理屈じゃないですからね。読んでもらえるということはさ、やっぱ全身全霊の信頼ですよ。きっとその人なら読んでくれるだろうと思うし、その人が読んでくれなければ僕の小説はだめだろうと思うから必死で書くんです。仕事が忙しいとか休みがとれないとか関係なくて。書くものは書く。だってそれでしか生きていけないんだもん。いやぁ、酔ってきたね、じゃあお会計お願いします。
※このインタビューは、『事情』発刊に際しての単独インタビューと、京都における劇作家との対談を元に再構成したものです。
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