中崎インタヴューズ #4「中崎淳=作家という生き方」
「肉体も精神も、すべて悪魔に明け渡す。そこで滲み出る一文、一行。これが僕の『血の一滴』ですよ」――平成の終わりが近づいた今、我々は何を学ぶべきか。学ぶとは何なのか。作家という生き方を語る。
――お時間いただきありがとうございます。今日は先生の過去の話に少し触れたいと思うのですが。
やめたまえよ。僕はね、君といると退屈しないということが分かった。それでいいじゃないか。過去の話って何ですか。でもね、仮にそういう話を始めるとしたら、塾長の存在は大きいですよ。あの人の意味不明さを僕は受け継いでると言ってもいい。塾長はね、八尾高校から大阪経済大に行ったんやけど「大学は東大・京大以外は全部ゴミで行く価値ない」ってはっきり言っとったからね。しかも「東大も大したことない」とか言ってたわ。それに塾なのに僕の方が勉強できたからね。考えてみ? 40以上も年上のおっさんに「数学以外はお前の方が上やから、お前は自分でやれ」って言われる。これが大人として扱われるということ、1対1の勝負です。やっぱ嬉しかったですよ。「あぁ人に認められると嬉しいな」と思ったわけです。だから「任せたぞ」って言われるんですよ。「任せるぞ、任せたぞ」という言葉の重みをね、僕は塾長から学んだ。だから僕は教育者になろうと思った。
――中学校のときには入った塾ですか?
そう。中1。だから小学校のときの友達がいっとって。
――頭が?
笠松君ね。中学入るタイミングでこーへんみたいな。家近かったからね。ほんなら笠松、あいつさ、中1の中間テスト、5月でやめよったからね。「なんでこーへんの?」って聞いたらあいつ「いやぁー」とか言うんすよ。「いやぁーちゃうやろ!」って思ったわ。んで、塾で「笠松やめるらしいっすよ」って言ったら、塾長は「あんなやつほっとけ」って言うたからね。いやいや、俺あいつの紹介で入ったんやけど(笑)。母親に「笠松君やめるらしいんやけど」って言うたら母親も「あんたもやめた方がいいん」言うから、こっちとしては「いや、分からんけど」って感じで。そんな簡単にやめるとか言うなよ、とは思ったけど。んで、もう一回塾長に「笠松やめます」って言いに行ったら「邪魔やからほっとけ」やって。「来たくないやつ来ても邪魔だから、お前は早く問題を解け」とか言うんすよ。友情もなんもないっすよ。けどね、塾長は「勉強せい」って言うんですよ。「お前はアホやろ、だったら勉強せい」と。でもね、塾長の求める水準に達してない僕でも高校に入ったとき模試で1位やったんですよ。で、そんとき思ったんすよ。「俺ってすごいな」とは思わんかった、「塾長すごいな」と思った。模試の結果の紙持ってって校内1位なんすよ。300人くらいおる中で1位と。持ってくやろ? そしたら塾長は「数学のこの点数なんやねん」と。「なんで半分もとれてへんねや」。僕はね「でも偏差値50は超えてるんです」って一応言うたんやけどね、「そんなん知らん。解けてない問題が多すぎるから、やれ」と言い返された。そんときはイラッとしたけど今は素晴らしいと思うね。褒めてくれよ、とは思ったんですよ。そこやわ。僕はね塾長との関わりがあるからいま教師やってるんですよ。つまりね、今でも学校で教えてると高校生が褒めてほしそうに僕のところにやってくるんですよ。なんか「どや」みたいな感じで。やっぱり褒めてほしいですよ、僕もそうやったから分かる。憧れる人にね、お前すごいなって言わせたいんですよ。でもね、言ったらダメですよ。「あ、君この程度で喜ぶんですか」みたいな。「分かった分かった、君の限界はここやね、よく頑張りましたね。ご苦労様」と言ってやる。
――そういう風に言われて成長できる人がどのくらいいるんですかね。
少なくとも僕はね、あのとき塾長に「お前はえらいな」って言われてたら頑張ってなかったと思う。あの人は妥協しなかったんですよ。そういう意味では僕は二流やね、すぐ「頑張ったね」とは言ってしまう。あの人は絶対にそんなこと言わんからね。「冗談は顔だけにしてくれ」とか言うからね、僕が点数見せたら。もちろん冗談の顔でね(笑)
――小説を書け、というのも塾長から言われたんですか?
僕が小説を書き始めたのは確かに塾長と知り合ってからやったけど、でも塾長がおったから小説を書こうと思ったわけではないですね。でもね、初めて塾に面接というか、入塾にあたっての説明を受けに母親と一緒に行った時に僕は西村京太郎の本を持ってったんですよ。そのとき僕はどこに行くにも本持ってったからね。で―――。
――店員「お待たせしましたー」
はいはーい。
――店員「左側がチョリソーで、右側がコッパです」
はいはい、ありがとうございます。でね、塾に行ったときに塾長がね「お、君は本を読むのが好きなのか、良いことやね」って言われたんですよ。んで塾出た後に母親に「本読んでるの褒められたね」って言うたんですよ、嬉しかったから、初めて人から本読んでて褒められて。そしたら母親なんて言ったか。「あんたは人に褒められるために本を読んでるんか?」って。僕これね、名言やと思うんです。母親の一番尊敬する部分そこやわ。あのときは僕が単純に騒ぎ過ぎてうざかったんかもしれんけど、でもね確かにね、そのときでさえ、僕は自分を恥じたね。今でも恥ずかしく思う。確かにそうやな、と。褒められるためにやってるんじゃない、と。それって大事やね。人に褒められるために僕は本を読んでるわけでもなければ、書いてるわけでもない。大事。
――核心をついた一言ですね。
だから、意外と母親は侮れないな、と思ってますよ。たまにあの人ね、母親はね、ほら僕が1回中学校の部活で人間関係揉めてて行かんようになったんすわ、中学2年生の夏か。同期にちょっとハブられた時期あって。そんで部活行かんかったら母親は「毎日がエブリデイやから、まあ頑張って」みたいなこと言い始めて。思ったんすよ、毎日がエブリデイって何やねん。意味不明すぎて。でもその言葉と、あんた人に褒められるために本読んでるんか、っていうのを照らし合わせると、母親はすごい哲学的に優れてるんじゃないかと思うんです。だから結局塾長と小説の書き始めとは関係ないですよ。ただ塾長との関わりで言えば、中学2年生か3年生のときに、小説家になりたいみたいなこと言ったんですよ。そしたら「物書きになりたいんやな」って言われた。小説家でも作家でもなく“物書き”。そのとき初めて物書きという言葉を知りましたけど。元々塾長は新聞の記者だったらしくて東京オリンピックのときに東京で働いとったんやって。だからそういうトレーニングも受けたよ。例えば「『時間』について800字で作文しろ」とかね。ヤバくない?そんなん普通の塾やらんぞ。ほんで添削される。「この部分が良くない」とか言って。点数で出すとかじゃなくて。
――時代を先取りした教育だったんですね。
違いますよ。それがまさに教育です。
――なるほど。
だから僕はやっぱりね、塾長死んだから、塾長から僕が受けたものを、僕も誰かに渡したいなと思う。バトンやと思うんすね、リレーやと。ともくんとかね、そういうのを大切にするわけじゃないですか。やっぱりね、歴史やから。だから僕は語り継ぐよ。やっぱり僕は塾長を非常に尊敬してる。中上より、谷崎より、僕は塾長を尊敬している。生身で触れあった人間やから。塾長は本を書いた人ではないから再評価されることはあり得ないんだけど、僕の中に生きてる塾長がいるんですよ。「有象無象は通行の邪魔」ですよ。生きてるからこそ言ってくるわけですよ「やれよ」と。だからこそ僕はやるし、人はね、安っぽい言葉かもしれないけど死なないんですよ。忘れられたら死ぬ。僕そう思うし、というかそうでありたいじゃないですか。誰も死にたくないんですよ。僕は死にたくないから、小説家になろうとしているですよ。つまり、忘れられない限りは死なないから。僕はね、この灯を受け継ぎたいわけですよ。だからその意味で僕が目指すのって、僕一人が売れて終わるんじゃなくて、なんかその、関わりたいですね、人と。後進に関わる、売れなくてもいいから、木曜会みたいな形でね、夏目漱石の。そういうなんか、息吹を伝える、伝承させる、そういうところに重きを置きたい。だから教師をやるし。最終的にはどっかの田舎の商店街みたいなところで塾をやりたいんですよ。それも偏差値教育じゃないですよ、塾長がやったような教育ですよ。あんなもんね、塾長のなんて、みんなプリント学習ですわ。全部問題集の問題コピーさせて渡してるだけですよ。塾長が編み出した方法ってないんです。ただ、塾長だからできたんですよ。少なくともあの作文添削に関しては、塾長が書かせて添削するから僕たちは書いたんです。でね、問題集のプリントにしてもね、作った問題じゃないんですよ。塾長が市販の問題集コピーやけど、適当にやっとったら怒ってくるからね。ぶちギレるからねしかも。答えを写したかもしれない、いや答え渡されへんからあれやけど、そんなんぶちギレですよ。だからね、僕もそうなりたいよね。最終的には教育者になりたいんですよ。人を育てたい。だからね、いや、だから塾長は素晴らしい。だから教師になったし。でも教師じゃないかもしれないね。
――誰かの人生に影響を与えるという意味では作家も教師も同じようなところがあるのでは?
だから良いんですよ。
――塾長はいつお亡くなりになったのでしょうか?
大学1年か2年の冬。1月ごろだったと思う。いや、俺が大阪に帰る新幹線で見たから年末かな、12月。ん、いや2月だ、2015年の。しかし、それを全部調べてもらったら、終わる気がするんだよね、だから嫌なんだよね。
――終わる、というのは?
それは深い考えに基づくものでね、僕はすべてを編集者に打ち明けてはいけないと思うんだよね。僕と編集者は友人でもある。ただね、僕は「書く人」であって、編集者はそれを「読む人」であるわけだよね。編集者が僕をすべて理解してしまったら、僕は書くことが無くなる。というか僕は編集者にとって書く価値のない人間になってしまう。だからね、僕と編集者はプライドをかけてやってるべきなんですよ、今もやってるはずだし。だから、「僕が書いたから黙って読みなさい」と言えるのは、編集者に思い入れがないからでしょう。塾長の話をしてね、編集者が調べてお墓が分かったとする、死因が分かったとする。僕はね、塾長との思い出が編集者に上書きされる部分が出てくるんじゃないか。それは多分ね、編集者にとっても健全じゃない。そうするといよいよ、編集者が嫌う展開になってくる。つまり、僕はあらゆる私小説で編集者を登場させるよ。そうでしょ? だって、塾長のことを回想するたびに、編集者の存在を描かないではいられないでしょ。これは面白くないでしょう、いや、僕は面白くない。
――既に中崎先生と編集者のことを知っている人物が寄せる小説作品の感想には、その編集者の登場を示唆するものが幾つかありますよね。ただ実際には、編集者と作中の人物には何の関係もない。これは改稿前の「執着」を読んだ編集者が、登場人物である<柊>をある中崎先生のご友人に重ねて「男性」と思い込んで読んだという話に通ずるところがあるかもしれませんね。
あ、ワインボトル空いた? 無くなった?
で、なんだっけ? あー、執着を改稿したときね。当然アナロジー、つまり類推は働くわけで。いまいただいたお話の中で良いことをおっしゃっていると思います。編集者はある僕の友人を思い浮かべて<柊>という人物を読み、僕に近しい読者は、その編集者を思って<菱川>という人物を読んだ、と。まさにそうなんですよ。僕が不愉快だったのは、改稿前の原稿を読んだ編集者がね、<柊>を男性と断定したことが面白くなかった。それは僕の技術の未熟さですよ。だから、原点が近いんだよね。性別を越境すれば、より奥深い作品が書けるんじゃないか、そう思ったんですよ。だからそのホモ・ソーシャル的な世界観を描こうとしたんだけど結局ね、つまらん。だって僕が面白くないんだから。どうしてもその、ヒステリックな方向に行かないといけないんですよ、そうすると。それは楽しくない。純粋に女性の太ももが綺麗であることを描写すればいいなと思ってやめた。だから今度の<柊>の方が綺麗だよ、僕にとっては。それはSさんという原風景がいるからね(笑)
――S・Mさんですか?
そうです。彼女は僕のミューズだよ。あれがいるから書ける。キモいでしょ? キモいんですよ。構わない。肉体も精神も、すべて悪魔に明け渡す。こういうときに滲み出る一文、一行、これが僕の「血の一滴」ですよ。人に褒められるためにやってるんじゃないから。何時いま?
――23時25分です。
赤ワインが欲しいですね。
――グラスでお願いしますね。
分かってますよ。でも難しいよね。あなたは? ジンジャーエール? フランスのシラーで、エルミタージュを、グラスで。それからジンジャーエールも。
いやぁ、難しいね。結局ね、小説書かないと死んでしまうからね、瀕死ですよ。僕はさ、人にどう理解されるか分からんけど、情に薄いからね。半年新しい小説を書いていない、これだけで辞める理由には十分でしょ。1年間新作を書いていない状況、僕にとっては異常ですよ、だから辞めるべきなんです。というかね、決断したのは6月でしょ、半年書いてなかった。異常ですよ、というかそこに意味を見出していなかった。僕はね、昔言ったね、「書けない数年間があってもいい。虚無にも意味がある」と。いやいや、あるかもしれんけど、嫌やから。それを改善できるなら改善しますよ、それだけの話ですよ。面白くないんだよ。
――過去の財産に縋るような作家はやはり見苦しいですかね。
間違いないね。財産というのはつまり、1つはある程度まとまった本が出たということ。もう1つは過去に書いてきた作品。これでしょ?
――本はこれからいくらでも出せますからね。先生も以前おっしゃっていたかと思いますが、短編集『事情』に収録されている作品で「青年」「へだたり」は異質な作品で、こういっては失礼かもしれませんがスタイルの定まっていない、芯のぶれた作品ですよね。あれを『事情』に収録したのは、そうした青春小説家に至る過程を表すものとしていわば未分化な作品集としての面白みを求めたものであって、そういう意味で『事情』は5作合わせて1つの作品でもあるわけですね。だからこそ「逸脱」や「幻風景」といった作品の刊行が待ち望まれるわけですが、あれらは今、どうなっているのですか?
「逸脱」は一応完成していて、いつでも出せますが、「幻風景」は作品賞含めどこにも出してない。出さないことにした。ダメだ、という判断をしました。だって面白くないんだから。ただね、改稿の手筈は整ってますよ。だから例えば、いまじゃあ、2月に新版出しますから仕上げてくださいと言われたらやりますよ。けれどね、あれはね、「事情」「逸脱」があって「執着」がある。「幻風景」はちょっとオナニー的かなという。僕は悪くないと思ってますが、ちょっと小説的すぎるかな、と。
――ぜひ、鳥瞰社から刊行されると嬉しいのですが。
僕はね、大正ロマンを復興させたいと言ってるじゃないですか。鳥瞰社はその可能性を秘めてると思いますよ。だって優秀な編集者がいるんだから。
――では「逸脱」「幻風景」「執着」を。
そうか、寂しいね。20年後ですよ。ノーベル文学賞はまだ先ですよ、時間かかるから、50年後やね。でもね、僕はそれで売れたいと思わないよ。いかにも見世物じゃないか。障がい者がサーカスにされているようなものだよ。だからでも、売れたいなとは思いますよ、つまり恩を返したいという意味でね。彼がおったから書けてるんだからね。それは当たり前ですよ。例えば芥川賞をとったときにね、受賞会見とかで「今の気持ちをどなたに一番最初に伝えたいですか」とか聞かれるじゃないですか。なんて馬鹿な質問! でね、答えるんです「そういう人はいないんですが」と。ただ、こう続ける。「そのね、端の方に座っている記者の方はね、喜びも一入だと思いますよ。せっかくなんで彼にコメントをいただきたいですね、ではどうぞ」と、こう言いたいですよね。それで彼が壇上に上がってね、「こういう場では中崎先生にはシャンパンをまず開けるのが常だと思うんで、申し訳ないですが文藝春秋の方々にはシャンパーニュをちょっと開けていただいてよろしいでしょうか」とか言いながらね(笑)。シャンパーニュ、シャンパーニュ、ははは、コーンポタージュ、コーンポタージュと言って自販機に蹴りかかったとはとても思えないね、とか言ってね。んで、最後に僕はね、こう言うんです、生きててよかった、と。こんな会見やれば記者の所属する会社の株は爆上がりですよ。まあこういう会話も5年後、10年後ネタにしてくれればいいかなと思うんです。
――記者の方も「会社のために働いているわけじゃない」とおっしゃってましたが。
そりゃそうだ、彼は僕のために働いているからね。じゃあ僕は何のために働いてるんだろうね。明後日ね、30日。Oさんこっちに来るんですよ、ポルノグラフティのライブで。30日ライブが終わったら飲む予定なんですよ、大阪城ホールでやるんだけどね。泊まるとこは難波らしいけれど。君は会ったことあったかね? 彼女はね、僕が唯一安らげる場所なんですよ。美しいです、雰囲気が。いかにも僕好みですわ、だから君も会うといい。30日夜また迎えに来てください。高い仕事かね? 安い仕事やね、よし、よろしく。じゃあ、もう一軒行きますか。
※このインタビューは、2018年末に大阪・中崎町のバルで敢行されました。
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